1946(昭和21年)/12/15公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
溝口健二の監督作品で、原作は邦枝完二、脚本は依田義賢、撮影は三木滋人。
幕府の御用絵師狩野瑩川院の門弟小出勢之助は許婚の雪江を連れて版画屋に立ち寄り、歌麿の自賛入りの絵を見て、傲慢も甚だしいと立腹し、歌麿に対して絵の勝負を申し込む。しかし歌麿の力倆に頭を下げ、千石の扶持と刀を放棄して民衆画家歌麿の門下に降りることを誓った。浅草観音前の水茶屋難波屋の娘おきたは歌麿に描いてもらった一枚の絵のおかげで、その名がたちまち江戸中に知れ渡った。彼女は紙問屋、仙香堂の息子庄三郎に対して激しい恋慕の情を抱いていた。ちょうど勢之助と歌麿が家で談じ合っている矢先、庄三郎が多賀袖花魁と駈落ちして行方不明になったという事が瓦版で報道される。勝気で独占欲の強いおきたはくやしがり、勢之助を追いかけて来た雪江に対しても嫉妬して邪魔をはじめ勢之助と雪江との間を円満解決しようと骨折っている歌麿にあたかも狂った如く邪慳にからみついた。その為歌麿は憔悴し切って、絵も荒れすさみ昔の面影はすっかりなくなってしまった。その頃松平周防守が自邸の泉水で腰元達を裸体で、水中に飛び込ませて鯉の捕みどり競争をやらせるという噂を聞きこんできた万屋重三郎は十返舎一九、山東京伝と計って歌麿を松平邸に案内させ、水中に飛沫をあげて躍る美女の肉体美を満喫させる。じっとみつめていた歌麿は裸体の美女群中最もふくよかな肉体の持ち主お蘭に目をつけ霊感の湧き上がるままにお蘭をモデルに「美人鯉取りの図」を書き上げた。ところが以前歌麿の書いた太閤記の絵が、公方様に皮肉を飛ばしたものだという理由で歌麿は奉行所から差紙を受け手錠三十日の刑をいい渡されてしまう。