1947(昭和22年)/10/28公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
菊田一夫の原作を小田英雄が脚色し、原研吉が監督する。撮影は森田俊保が担当、高峰三枝子、佐分利信、村田知英子、井川邦子ほか、井上正夫、藤田進が出演。
明治三十年。にら崎伝右衛門は園井の出資を得てにら崎北海道開拓会社を設立し、鉄道施設を計画していた。しかしたまたま行きあたるアイヌの土地を買い上げるのは生やさしい事ではなかった。アイヌに取って見ればなるほど故郷を失うのは心痛い事であったろうし、それに東京日報の新聞ではにら崎の事業家根性を非難し「アイヌの人々を人道の名において守れ」等と書きたてられにら崎の事業は一層難航にあえいだ。それだけではなかった。東京日報の記者松坂俊政は北海道まで渡って来て北海日報にまでにら崎を攻撃し始めた。またにら崎開拓会社のやり方にも相当落度があり松坂の攻撃も無根のものではない。アイヌの土地を安く買上げようとしたり、開拓移民の人々を虐待したりした。しかしそれはにら崎の名において園井が私腹を肥やすためにした仕業だった。新聞記者松坂俊政、実をいえば彼はにら崎の息子だった。にら崎は昔から家庭も省みない程事業熱に燃え、そのために俊政の母菊は子供を二人抱えて苦しい生活を続けた。しかしついに堪えられず末娘典子をにら崎の下へ残して俊政と共に出てしまった。菊は俊政を父に勝る実業家に育て上げて、見返してやろうという一念で女中にまでなったが、俊政の学校が上になるにつれて学資がかさみ、それに随って菊の働き場所も段々東京から遠ざかって行き、彼が大学を出る頃は家を渡って北海道まで流れて来ていた。