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生さぬ仲

1949(昭和24年)/11/1公開     
配給:松竹 製作:松竹株式会社

市川哲夫の次作品、新派往年の当り狂言柳川春葉の同名の原作を沢村勉が脚色している。撮影は倉持友一、プロデュースは石田清吉の担当、出演は宇佐美淳、市川春代、吉川満子、浜田百合子、河津清三郎、三津田健、小沢栄、紅朱実、小川弘子など。

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スタッフ

原作:
監督:
音楽:
撮影:

ストーリー

昭和18年、小児科の医師日下部は親友渥美の愛児滋子の疫痢で往診を頼まれた。渥美は亡父の跡を継いでH漁業の社長となり経済的には恵まれていたが、彼の妻球江は滋子が生まれて半年の時に、清岡という画家とかけ落ちをしてしまった。その後三年近くの間、渥美は老母と滋子の三人暮らしをしてきたのだった。滋子の病気中、肉親以上の熱心さで介抱してくれた看護婦赤沢真砂子に感謝以上の愛情を覚え、哀れな滋子のために母親になってくれと頼んだ。真砂子から相談を受けた日下部は真砂子を愛していたが、親友の幸福のため、真砂子のためにその結婚を祝福するのだった。ただ渥美の母岸代は家柄を口にしてこの結婚に反対して真砂子に辛く当った。七年の後、戦争は人々の運命を様々に変えた。渥美と別れた球江はその後落はくの身で北海道に渡り、軍需成金の男と結婚して戦後のどさくさに巨万の富を積んだが、男はふとした病気で他界し、彼女は忘れられぬ想いの東京に帰って来た。渥美は事業の手違いから差し押えをうけて家財一切を競売され、悪ラツな債権者からは告訴された。夫を刑務所にとられ住む家を失った真砂子は滋子、岸代と秘書落合の家に移った。いん奔な女ながらも我子恋しさの強い念に燃えて球江は窮況に悩む渥美に援助を申し出て、財力に物をいわせて再び渥美家に入り、滋子の母になろうとした。しかし言下に断られ、滋子と岸代が借住居に苦しんでいると知った球代は、自分の家に二人を引き取って歓を尽くす。昔の夢の忘れられぬ岸代はちやほやされて喜んだが、滋子はどうしても球代になつかず常に真砂子をしたって泣いていた…。

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