1951(昭和26年)/5/23公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
製作は小出孝、ドストエフスキーの原作を久板栄二郎と黒澤明の共同脚本で、「羅生門」につぐ黒澤明の監督作品、松竹と映画芸術教会の提携作品として企画は本木莊二郎。主演者は森雅之、三船敏郎、原節子、それに志村喬、東山千栄子、久我美子、村瀬幸子、千石規子、柳永二郎などが助演。
沖縄から復員して来た亀田欽司は、癲癇性痴呆性で白痴だと自ら名乗る無邪気な男だった。青函連絡船の中から欽司と一緒になった男に赤間伝吉と軽部という男があった。軽部は、欽司が札幌の大牧場主大野の親類だというとペコペコし、伝吉が、札幌の大金持ち赤間家の息子というとまた驚いて見せた。伝吉は、政治家東畑の囲い者那須妙子にダイヤの指環を贈ったことから父に勘当されるが、その父が亡くなったので家へ帰るところだった。欽司は札幌に着いて、狸小路の写真屋に飾られた妙子の写真を見せられその美しさにうたれる。大野は欽司が帰って来たのを見て、ちょっとあわてた。欽司が父から遺された牧場を大野が横領した形だったからである。しかし欽司は一向にそんなことには気にかけず、大野から香山睦郎の家へ下宿させてもらう。その香山睦郎は、東畑の政治的野望の邪魔になって来た妙子を、六十万円の持参金つきで嫁にもらうことになっていた。札幌へ帰ってその噂を聞いた赤間伝吉は、百万円の札束を積んで、妙子を譲りうけに行った。妙子は、百万円を東畑や香山の前で暖炉に投げ込んで、赤間とそりに乗って去って行った。赤間と妙子が東京へ行ったと聞くと、欽司も、大野から贈られた牧場の少なからざる利益金を懐にそのあとを追って行ったが、やがて赤間も妙子もそして欽司もまた札幌に舞い戻って来た。