1954(昭和29年)/9/15公開 156分
配給:松竹 製作:松竹株式会社
木下恵介監督作品。壷井栄の原作を同監督自身が脚色している。撮影は楠田浩之、音楽は木下忠司。出演者は高峰秀子、田村高廣、天本英世、月丘夢路、小林トシ子、笠智衆など。
昭和三年四月、大石久子は新任の先生として、瀬戸内海小豆島の分校へ赴任した。一年生の磯吉、吉次、竹一、マスノミサ子、松江、早苗、小ツル、コトエなど十二人の二十四の瞳が、初めて教壇に立つ久子には特に愛らしく思えた。二十四の瞳は足を挫いて学校を休んでいる久子を、二里も歩いて訪れてきてくれた。しかし久子は自転車に乗れなくなり、近くの本校へ転任せねばならなかった。五年生になって二十四の瞳は本校へ通う様になった。その時久子は結婚していた。貧しい村の子供達は卒業を迎えても誰一人望み通り進学出来ず、母の死んだ松江は金比羅の食堂へ奉公に出された。八年後、その頃擡頭した日本の軍国主義は久子を教壇から追い、大東亜戦争は夫まで殺した。島の男の子は次々と前線へ送られ、竹一等三人が戦死し、ミサ子は結婚し、早苗は教師に、小ツルは産婆に、そしてコトエは肺病で死んだ。久子には既に子供が三人あったが、二つになる末っ子は栄養失調で死んだ。終戦の翌年、久子は再び岬の分教場に先生として就任した。教え児の中には、松江やミサ子の子供もいた。一夜、ミサ子、早苗、松江、マスノ、磯吉、吉次が久子を囲んで歓迎会を開いてくれた。二十四の瞳は揃わなかったけれど、想い出だけは今も彼等の胸に残っていた。
世界映画祭ハリウッド外人記者協会ゴールデン・グローブ外画賞:毎日映画コンクール大賞:毎日映画コンクール脚本賞(木下恵介):毎日映画コンクール監督賞(木下恵介):毎日映画コンクール録音賞(大野久男):毎日映画コンクール女優主演賞(高峰秀子):ブルーリボン賞作品賞:ブルーリボン賞脚本賞(木下恵介):ブルーリボン賞主演女優賞(高峰秀子):キネマ旬報賞作品賞:文部省芸術祭芸術祭賞