1959(昭和34年)/7/21公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
水上伸郎の原案から、灘千造と野上龍雄が脚本を執筆、佐分利信が監督した音楽映画。撮影は杉本正二郎が担当。
母を失くした矢代悠子は父耕輔の指導の下にヴァイオリンを学んでいた。耕輔は立派な音楽家だったが、今は生活のために矢代クィンテットを編成しキャバレーで働いていた。楽団員は寸暇をさいてクラシックの勉強に励み「五重奏団」の実現を夢みていた。悠子の学友・友江は家が貧しいためジャズバンドで働くことになった。ある日耕輔は昔軍楽隊で一緒だった村松という男に会った。村松は黒沢音楽事務所の顧問であることを話し、女流ヴァイオリニスト島本由美を加えて矢代クィンテットのリサイタルを開こうと言った。悠子は学校の定期演奏会にソリストとして出場することが決まった。耕輔の喜びは大きかった。村松から演奏会の準備費として十万円要求して来た。十万円は工面したが、悠子は島本由美が近く渡欧することを知った。驚いた一同が黒沢事務所を訪れると、村松はすでに事務所をクビになり詐欺を働いていたことが分かった。黒沢の好意で矢代クィンテットは島本由美の前座として出演することになった。結果はよくなかった。悠子の学校から授業料の督促が来た。耕輔はヴァイオリンを売った。悠子はジャズで働く決意をしたが、友江に諌められた。悠子と島本由美は親しく交わった。黒沢が矢代クィンテットを東亜テレビに推薦した。審査の日が迫ったが、耕輔にはヴァイオリンがなかった。誰も貸す者はなく、島本由美を訪ねた悠子は由美の名器「ストラディバリウス」を持ち出してしまった。しかし父にさとされて返しに行った。悠子の演奏会の日が来た。耕輔、由美、黒沢、友江、グループの友達らのひきいる中で悠子のヴァイオリンは美しく響いた。それは遠く高く祈る乙女にも似ていた。