1965(昭和40年)/3/13公開
配給:松竹(受託配給) 製作:日本電映
富田常雄の「明治の風雪」を渡辺邦男が脚色・監督した柔道もの。撮影は河原崎隆夫が担当している。
鹿鳴館花やかりし明治時代、学習院教師矢野正五郎は、諸派入り乱れる柔術界を、本来の武術に引き戻すよう内弟子戸田雄次郎共々念願していた。矢野を敵視する天神真揚流の兄弟子泉専太郎に真意を説き納得させた矢野は、泉を師と仰ぐ魚河岸の連中にかこまれ、乱闘事件となった。学習院教師の大乱闘と新聞に書きたてられた矢野・戸田の二人に対し、矢野を学習院に推した静閑寺静馬子爵は立腹し、矢野に退職を迫ると更に息子高博と矢野の姉須賀子との婚約も破談にした。そして静閑寺子爵は、実業家椿正太の令嬢早苗と高博の政略結婚を謀った。しかし、矢野を慕う早苗は、その非情さを泣いて訴えた。一方掛札兵介、檜垣源之助ら師範は、関東一の廻船問屋島屋を説いて道場を買わせ日本柔術の大本山にする算段であったが、以前から矢野に惚れこんでいた島屋は、その話を断った。箱根山中にこもった矢野は、かねての顔見知りの革命家井沢周蔵配下の天誅党員の一派に挑まれ、闘う破目となったが、矢野の柔の術は彼らを破った。一方早苗は、矢野を思うばかりに病に伏せっていた。その頃隅田川からお台場へ遊びに行っていた島屋の娘千鶴は、掛札兵助と魚河岸の無頼漢に難題をふきかけられていたが、むかえに来た戸田に助けられた。また学習院院長花木は、矢野・戸田の正義感を知ると、再び学校に戻って柔術をするよう激励した。その頃早苗は息をひきとり、静閑寺子爵は、再び須賀子を高博の嫁にといって来たが、須賀子と矢野は取り合おうとしなかった・・・。