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続柔旋風・四天王誕生

1965(昭和40年)/10/16公開     
配給:松竹(受託配給) 製作:日本電映

富田常雄の原作を、本山大生と松村楢宏が共同でシナリオ化し、西山正輝が監督した「柔施風・怒涛の対決」の続篇。撮影は河原崎隆夫が担当している。

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ストーリー

明治16年秋、学習院教師矢野正五郎は、柔術諸派の嫉妬や欧米心酔者の侮辱を受けながら、内弟子戸田雄次郎、壇義麿、津崎公平の三人と共に、人の道たる柔道の完成を目指して精進の日を送っていた。ある日矢野に代って樋口子爵令嬢久美子の誕生祝いに出席した戸田は、久美子の許婚者曽根正雄の散策中、落馬したのを救ったことが認められて、子爵から令息康之の教育を委任された。その頃、かつて戸田に敗れ、主権を矢野にゆずり渡した殺当流の掛札兵介が、関西の雄、不遷流鷺沼猛人を介して矢野に挑戦してきた。が、矢野は、自らを極めるための柔道に他流試合は無用と、固辞して受けつけなかった。こうして紘道館柔道は、知友板垣退助が筆を揮った「日本伝紘道館柔道場」の看板も、時期尚早として掛けない矢野の統率のもと、激しい鍛錬のうちにも日々平安の時を過ごしていた。なかでも戸田は久美子と豪商島屋の娘千鶴の求愛をうけ、仲間の羨望を一身に集めていた。そんな平和も長くは続かなかった。血気にはやった津崎が鷺沼と相対して惨敗し、後を追った壇も倒れ、戸田までも鷺沼の秘技の前に屈しさった。それ以来、壇は自責の念にかられ鉱道館を去って自虐の生活を送るようになった。しかし、戸田は矢野の師である愚庵禅師の戒めで、紘道館の再興を誓って故郷伊豆へ修業に立った。そのころ壇がかくれすむ裏街の安宿には、柔術を志して上京した姿三四郎の姿があった。一方樋口子爵は、娘久美子の求愛をはねつけた戸田の態度に激怒し、三島総監を通じて、矢野と鷺沼の一戦を実現させようとした。

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