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作品紹介

わが歌のある限り

1971(昭和46年)/7/10公開     
配給:松竹 製作:松竹株式会社

「涙の流し唄 命預けます」に続く、藤圭子主演第2作。脚本は宮川一郎。監督は長谷和夫。撮影を小杉正雄がそれぞれ担当している。

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スタッフ

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ストーリー

藤圭子の初のリサイタルが開かれた。華やかなフット・ライトと、割れるような拍手の中で歌いながら、圭子はこれまでの長い道のりを回想した。北海道旭川、父は浪曲師・松平国二郎、母はその曲師・澄子。圭子が5歳の時、一家は炭鉱、飯場を興業して歩いた。圭子は小学校5年になった。国二郎は、もと弟子の左官職の下働きをし、澄子は料理屋で三味線を弾いて食っていた。しかし、貧乏に変わりはなかった。そんなある日久しぶりに国二郎が舞台に立つことができた折も折、母の眼が見えなくなった。穴埋めとして圭子は初舞台を踏んだ。圭子が中学3年の時、一家は常盤ヘルスセンターへ移り、圭子は生活のためにその専属歌手となった。希望していた高校進学も断念せざるをえなかった。そんな彼女を大学浪人の吉田はいつも励ました。ある日、作曲家・石中が、彼女の素質を買い、上京を進めた。圭子は母を連れ、汽車に乗った。石中のレッスンとドン底の生活はきびしかった。石中と圭子の血みどろのレッスンが続いた。父と幼い弟に仕送りするために流しをしなければならなかった。数ヶ月後、圭子は初めてレコードの吹込みをした。しかし、レコードは全々売れなかった。しかも、圭子に全力を打込む石中の激しさに妻道子は嫉妬し、夫婦間のトラブルは絶えない。圭子と石中の必死のキャンペーンが始まった・・・。

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