1974(昭和49年)/6/22公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
戦前、戦中、戦後の三代にわたって生きた軍人一家の系譜を、激動の昭和史と北海道の雄大な自然を背景に描く大河ドラマ。原作は菅忠淳の週刊朝日「わが家の三代」応募作品。脚本は石森史郎と宮崎晃による共同執筆、監督は脚本も執筆している貞氷方久、撮影を坂本典隆がそれぞれ担当している。
〔第一部・動乱〕昭和2年、旭川・歩兵第27連隊に赴任した陸軍中佐・菅原忠一郎には、屯田兵だった父・弥七郎、妻・丸枝と、忠節、忠礼、忠勇、忠信、忠淳、赤ん坊の忠質の六人の男児がいた。子供たちを全員軍人にするのが夢である忠一郎は、名前も軍人勅論から一字をとってつけた程であった。昭和11年。次男忠礼は、忠一郎の望み通り、陸士の生徒になっていた。一方、病弱のため一高--東大に進んだ長男忠節は、左翼運動に走り、逮捕されてしまい、それを知った忠一郎は退役せざるを得なかった。昭和12年。退役して中学の教練教師をしている忠一郎のもとへ、釈放された忠節が帰って来た。白刃を振りかざして怒る忠一郎に、忠節は「警察では拷問され二度とやらぬと言ったが、尊敬するお父さんには嘘をつきたくない。また、やるかもしれません」と言った。男らしく生きよ、という忠一郎の教えだけは受け継がれていたのだった・・・。〔第二部・夜明け〕復員してきて虚脱状態にある忠一郎は、忠淳にしみじみと言うのだった。「時代の波に流された流木だった俺とは違って、お前は大地に根を張った大木になってほしい」。昭和23年。共産党進出の仕事と戦争責任追求に忙しい忠節が菅原家に帰ってきた時、忠一郎は「お父さんは、お前のように、みんなが闘っていた戦争中冷やかにそれを見つめていた人間の気持ちが判らない。お父さんはもう一度、みんなと共に闘い、共に死にたい」と苦々しげだった・・・。