1989(平成元年)/6/17公開 114分 カラー
配給:松竹富士 製作:フィーチャーフィルムエンタープライズ
監督は、「鬼龍院花子の生涯」「陽暉楼」等、情念の世界を描けば右に出る者のいない巨匠、五社英雄。脚本は「仁義なき戦い」「二百三高地」等、実録ものでは定評のある笠原和夫が、長期間の取材と膨大な資料をもとに書き上げた。美術は、「ハチ公物語」「竜馬を斬った男」等を手掛けた映画美術界の最高峰、西岡善信。撮影は、五社作品には欠かせない存在である大ベテラン、森田富士郎。大作に相応しい格調高い重厚な映像を作り出している。音楽は、新進気鋭の若手作曲家として国際的にも注目を集めている千住明が、初めて本格的に映画音楽に挑戦している。
昭和8年、満州への武力進出が問題となり日本は国際連盟を脱退し、国際的に孤立していった。国内でも経済不況と農村恐慌が重なって国民の不満と怒りは頂点に達していた。その頃、陸軍の若手将校たちが集まって昭和維新の計画を立てていた。それはこのような窮状を打開するために天皇を取り巻く元老や重臣を排除し、陛下の大御心を直接国政に反映させるしかないというものだった。野中大尉ら8人は、昭和11年2月26日未明、雪の降る中昭和維新を決行。22名の青年将校に率いられた1500名にも及ぶ決起部隊はそれぞれ連隊の営門を出発した。栗原隊は首相官邸を襲撃し、岡田総理を殺害したが実は身代わりの松尾秘書だった。坂井隊は斉藤内大臣、渡辺教育監督を射殺。中橋隊は高橋蔵相を射殺。安藤隊は鈴木侍従長を襲撃したが、結果的に命はとりとめた。丹生隊は陸相官邸を占拠し、野中隊は警視庁を占拠。河野隊は湯河原で牧野伯爵を襲撃するが、河野は被弾し牧野に逃げられてしまう。河野はそのまま陸軍病院に収容された。陸相官邸にて決起趣旨を述べ、今回の行動について陛下の御聖断を要求した。皇居では緊急の軍事参議会議が開かれ、決起を認めるかのような陸軍大臣告示が発表された。しかし、宮中では会合の結果、戒厳令の御裁可が参謀本部次長に下され、決起部隊も戒厳部隊に編入された。翌27日には奉勅命令が発表され、決起部隊に原隊への復帰が勧告された。事態は次第に皇道派青年将校達の不利な方向へ傾いていった。
ブルーリボン賞助演女優賞(南果歩)