1976(昭和51年)/2/14公開 64分 カラー シネマスコープ 映倫番号:18394 R18
配給:東映 製作:東映
人気劇画「玉割人ゆき」映画化第2弾。京都島原から北陸の城下町金沢の西の廓へと舞台を移し、北陸の美しい風物を背景に薄幸の女たちの性と愛の人間模様を描く。
昭和の初め、初夏の頃、金沢。京都の島原から金沢へ移ってきた玉割り人のゆきは、島原きっての技術をくるわの女たちに教えていた。玉割り人とは、遊郭に売られてきた未通女に性技の基本を教え、娼妓に特殊な技を仕込むセックスの師匠のことである。
訓練風景を廓の主人たちに公開した会で、ゆきは夕月楼の主人清次郎を知った。清次郎は、謡曲の神童といわれ廓の跡継ぎだったにもかかわらず、東京に行き、能楽界の麒麟児と騒がれるようになったが、故郷へ遊びに帰ってきたときに事件が起こり、そのままずっと金沢に残っていた。その事件というのは、金沢一の謡曲師・吉冨宗市に試合を挑み、負けた宗市が一人娘のお俊を残して自殺してしまったのだ。清次郎はそれ以来謡曲を捨てた。そして一度だけ清次郎に抱かれたお俊は、清次郎を忘れられなくなり、つきまとっていた。
ゆきは清次郎に抱かれた。清次郎は、ゆきにすっかり惹かれてしまった。その現場を見たお俊は、放浪の旅絵師・伊藤晴雨にとことん狂わせて欲しいと頼んだ。清次郎の妹・美代は、兄がゆきに惚れてしまったことを告げ、昔の兄に戻すため救って欲しいと泣きついた。しかし、お俊にゆきへの愛を打ち明けた清次郎は、刃物で腹を刺される。ゆきの家にころがりこんだ清次郎を必至に介抱するうち、ゆきの清次郎への愛が燃え上がった。
足を洗って清次郎と世帯を持とうと決心するゆき。清次郎も、再び東京へ出て謡の修行に賭けようとしていた。清次郎は、新入りの女郎になったお俊に別れを告げ、金包みを渡そうとするが、お俊はお金よりも、もう一度抱いて欲しいと言う。抱かれた後、お俊は別れの盃を受けてくれと頼み二人は同時に盃を呷った。だが、これが二人の最期であった。
清次郎との思い出の深い金沢をゆきが去ったのは、それから間もなくであった。