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少年漂流記 

Tale of A Young Drifter

1960(昭和35年)/7/26公開 58分 カラー シネマスコープ 映倫番号:11832 
配給:東映 製作:東映

夏休みに小型海流調査船に乗り込んだ十四人の高校生と一人の中学生を襲った悪夢。ふとした過ちから太平洋上遠く流された十五人の少年の運命は?海洋冒険ドラマの決定版。

少年漂流記 
(C)東映

ストーリー

灼熱の太陽が水平線の彼方に昇り、果てしなく続く波また波の大洋の真っ只中に木の葉のように奔弄される一隻の機帆船があった。ぽっかりロを開けた甲板と無残に折れたマストが長い漂流の苦闘を物語っている。片倉をはじめとする十五人の少年たちを乗せた海神丸である。
二十日前、彼らは片倉少年の父である海洋学者・片倉博士の指導で、高校最後の夏休みを楽しく過そうと海流調査船海神丸に乗り組み、希望に胸を躍らせて一路南への航海を続けていた。しかし船が八丈島神湊に入港し、片倉博士が上陸した晩、何者かによって伴綱を解かれた海神丸は十五人の少年を乗せたまま洋上遥かに漂流してしまったのである。
明け方近く漸く漂流に気付いた少年たちだが、永峰の手によりエンジンを始動させ片倉が舵輪を握って八丈島と思われる方向に舵を向けたのも束の間、エンジンが故障してしまった。文字通りの漂流が始まったのである。少年達の顔に漸く焦躁の色が漲ってきた。
その頃、内地では十五少年の遭難を知り、対策本部を設けて海空からの捜索を開始していた。海神丸の少年たちはラジオでこの事を知り、不安の数日が過ぎた。ラジオからは少年たちの行方を案ずる父母の声が流れてきたが、頼みの捜索機は遂に少年たちの前には姿を現さなかった。
冷静な片倉は克明に航海日誌をつけた。榎本は送信機の修理に熱中した。少年たちは乏しくなった食糧を制限し、雨水を溜めて飲料水を作った。
水平線の彼方に太陽が沈み、そして昇った。やがて彼らの恐れていた最悪の事態がやってきた。猛烈な嵐が襲ってきたのである。荒れ狂う激浪に木の葉のように奔弄される海神丸。片倉は必死に舵輪にしがみつき、少年たちは力を合わせて勇敢に嵐と闘った。しかし遂にマストが折れ、船は浸水し大きく傾いてしまった。
嵐が去った。内地では既に十五少年は遭難したものと認め、対策本部は解散してしまっが、海神丸は辛うじて沈没を免れていた。
少年たちの疲労はその極に達していた。その時、夕闇濃い洋上に船影が浮び上る。驚喜する少年たち。しかし祈りを込めて打ち上げた信号弾も空しく、何故かその船は進路を変えるとそのまま遠去かってしまった。
食糧は全て水に浸り、飲料水も欠乏してきた。絶望の空気が重苦しく船内を支配し、少年たちの規律も乱れてきた。喉の乾きに耐えかねた上坂は、遂に一同の目を盗んで飲料水を飲んだ。怒りに燃えて思わず上坂の胸倉をつかむ片倉、二人は激しく争った。突然片倉の弟・芳夫が泣き出した。「みんな僕が悪いんです…」芳夫は涙ながらに自分が八丈島で、悪戯のつもりで船の伴綱を解いたことを語った。呆然と見つめる片倉たち。その時「島だ!島が見えるぞ!」豊岡の狂喜の叫びが上った。
漂流以来二十二日振りに十五少年は漸く南海の無人島に漂着したのである。上陸した彼らは、格好の洞窟を発見し、そこに残された古ぼけたノートから五十年前、FBの頭文字を持つフランス人がこの孤島に漂着、洞窟に三年間住んでいた事を知る。洞窟を住居に定めた少年たちは、沖を通る船にわかるよう絶壁の上に信号塔を建て、更に破損した海神丸の修理に取りかかった。
船の修理も完成に近づいたある夜、またも激しい嵐が襲ってきた。少年たちの努力も空しく、海神丸は激浪にさらわれて遂に海底に没してしまった。言葉もなく暗然と肩を寄せる少年たちの頭上では、嵐が一層烈しく吼えていた…。

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シリーズ

「少年漂流記」シリーズ(2)

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