作品検索

作品紹介

マッキンレー征服 

1960(昭和35年)/9/27公開 57分 カラー シネマスコープ 映倫番号:11949 
配給:東映 製作:東映

アラスカ大陸を圧して聳える北米最高の巨峰マッキンレー。史上始めて6,191mを征服し、併せて興味深いアラスカの大自然や風俗を捉えた記録映画巨篇。

マッキンレー征服 
(C)東映

スタッフ

監督:
脚本:
音楽:
撮影:

キャスト

杉山眞太郎

ストーリー

1960年3月、明治大学アラスカ学術調査団は、民族・地理・考古の三分野にわたる研究およびアラスカの最高峰マッキンレーに極寒期初登頂を試みるべく日本を出発、東映教育映画撮影班もそれに同行し、貴重な体験をフィルムに収めたのである。アメリカ大陸の西北端に位置し、東側がカナダ国境に接しているほか、南は太平洋、北は北極海、西はベーリング海と海に囲まれたアラスカは日本全土の約4倍という広大な土地を有するアメリカ合衆国第49州目となる極寒の地である。アラスカでは南の太平洋岸が最も開けており、空の交通の中心地アンカレッジと首府ジュノーがある。アンカレッジの南60キロのところにあるポーテージ氷河は有名な観光地である。南部太平洋岸にはこの他大小様々の氷河が見られ、その最大のものはマラビナス氷河と呼ばれている。氷河と並んで広大な森林地帯があり、良質パルプを産出している。首府ジュノーの近辺にはインディアンが多数住んでおり、民族資料も多く保存されている。彼らの象徴は、奇抜でグロテスクなデザインを施したトーテムポールである。これとともに特異なものにインディアンの踊りがある。太鼓とガラガラを伴奏にして、一日中繰り返し踊り続ける。肩にかけたチルカットという複雑華美な模様があしらわれた山羊の毛で作られた毛布が華麗に舞う。この踊りはお祭りのときやポトラッチと呼ばれる宴のときに行われる。
目を転じてアラスカ中部に行くと、アラスカの象徴ユーコン河が蛇行し、ゴールドラッシュ時代の中心地が点在している。さらに西に向かいベーリング海峡を望むセワード半島にあるノーム、北極圏にあるコッツェビューを訪れ、海岸エスキモーと接した。エスキモーの調査を更に進めるために、ブルックス山脈にある内陸エスキモーの村アナイトブックパスを訪れた。ここは全くのツンドラ地帯で荒涼たる景色はいかにも北極圏下にあることを思わせる。ここに住むエスキモー人は非常に原始的な生活を送り、大自然の猛威と闘い続けているのである。彼らの最大の娯楽は踊りである。日蓮宗の様な太鼓をたたいて即興の歌と踊りに興ずるのである。アラスカ最北端のポイントバローにはレーダー基地があり、極北研究所には各国の学者が集まって北極圏の問題を研究している。
アラスカ学術調査団にとって最も大きな冒険を必要とする仕事はマッキンレーの登頂である。厳冬期にアラスカにそびえたつ北米最高の山マッキンレーに挑むのは世界初の試みであり、その前途は大いに危惧された。4月9日、千古の氷雪におおわれた標高6,191mの巨峰を望みながら基地タルキートナから小型機で人員と荷物をカヒルトナ氷河上のベースキャンプへと運んだ。ここで一向はケルンを築き、山の男の霊を慰めて登頂の成功を念じるのだった。
4月14日、3,120mの第一キャンプ。猛烈な吹雪に襲われ、しかも零下30度という気温とあって、一寸外に出るにも決死の覚悟を必要とするのだった。高度3,900mの第二キャンプから第三キャンプを経て、登頂最大の難関ウエストバットレス氷壁にかかった。巍然としてそそり立つ大氷壁!言語に絶する努力を続け氷壁を超えると息つく暇もなく第四キャンプの設営にかかった。標高5,150m。この間、ポーターもシェルパもなく、荷物は全て隊員自ら運ばねばならなかった。肩にくいこむ荷物の重さ、おまけに空気が希薄なるが故に息切れが激しい。苦難の連続である。
5月12日、デナリパスの第五キャンプに入る。ここはマッキンレー北峰との分水嶺で吹きさらした岩と氷だけの世界である。しかし頂上はもう直ぐだ。
5月14日、いよいよ最後のアタック。風は強かったがついに登頂に成功した。厳冬期に於ける世界最初のマッキンレー征服。しかもこの快挙を日本人の手で成し遂げたのだ。標高、実に6,191m、時はまさに午後2時20分であった。

マッキンレー征服 
(C)東映
ページの先頭へもどる
一般社団法人 日本映画製作者連盟・会員(4社)