1961(昭和36年)/9/13公開 95分 カラー シネマスコープ 映倫番号:12486
配給:東映 製作:東映
「天一坊は真実、将軍の御落胤だった」馴染み深い伊賀之亮、天一坊の物語に意表をつく解釈を加えて、軍師伊賀之亮の底知れぬ人間的度量、若き天一坊が真実の父を求めた故の悲劇を重厚な筆緻で綴る。
東海道・金谷の宿場で、大名行列にただ一人、倣岸な目つきで行列を睨む若者がいた。若者はその夜、土地の賭場に赴くが負け続け、掛け金のカタに懐から短刀を取り出した。だがその短刀こそ、徳川御三家のうち紀州家に伝わる家宝の刀だった。若者は自らを八代将軍吉宗の落胤だと言う。真偽はともあれ、賭場の用心棒であった赤川大膳は、若者を美濃で常楽院を支配する伯父の天忠の所へ連れて行く。若者は幼い頃宝沢と呼ばれていた。孤児だと思い込んでいた宝沢だったが、祖母が短刀と手紙を見せてくれたことを覚えていた。その短刀が紀州・永寿寺の本堂にある事を友人から教えてもらい、しかも自分が吉宗の御落胤として短刀を受け継ぐ存在であると聞いたのだが、信じられなかった宝沢は深夜に本堂に忍び込み、短刀を持ち出してしまう。そのとき、弾みで本堂に火を落としてしまい、以後永寿寺から離れて旅をしてきたのだ。大忠はこの、かつて宝沢と呼ばれた若者に天一坊と尊号を与え、祭り上げた。そのとき、この常楽院を一人の浪人が訪れた。元は九条関白家にいた山内伊賀之亮は、天一坊に、天下の徳川相手に大勝負を仕掛けるべきだと言い放つ。腹を決めた天一坊を前に、伊賀之亮はその采配振りを発揮、軍資金を瞬く間に集め、大阪奉行、そして京都所司代相手に名乗り出て、天下の耳目を集める作戦を考えた。策は見事に当たり、いよいよ江戸へ、本当の勝負に躍り出るときがやってきた…。