1951(昭和26年)/1/3公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
福島通人の企画で石田清吉が製作に当たり、八住利雄が脚本を書き、斎藤寅次郎がメガボンを取っている。出演は美空ひばり、市川小太夫、堺駿二のトリオに、坪内美子、宮城千賀子など。
浅草寺境内で、今日も越後の獅子舞が人々の人気を呼んでいたが、群集のなかから誰か獅子面の頭へ小刀を投げた者があった。土地の顔役佐平次はこれを見ていて、「佐七だ!」と叫んだ。佐七は浅草奥山に小屋掛けして興行を打っている女水芸師の太夫梅吉の亭主であったが、獅子舞と見ると必ず小刀を投げて、その獅子面の頭を割って歩いていた。浅草寺の鐘つき伝兵衛は、中風で体の自由が利かなくなってから、孫息子の蝶松が代わって鐘をついていたが、持って生まれて唄がうまく長屋の隣家にやもめ暮らしをする源六が可愛がって唄を仕込んでいた。伝兵衛もその昔は越後から来た獅子舞で、昔使った獅子の頭を床の間に飾っていたが、ある日伝兵衛の獅子舞の仲間だった佐平次が訪ねて来て、自分の持って来た獅子の頭と伝兵衛のとをすり替えて帰って行ったが、それを知っているのは蝶松一人きりだった。その蝶松は、実は伝兵衛の拾った子で、その母親のお糸は、捨てた子恋しさに遥々越後から鳥追い姿でたずねて来たが、蝶松は伝兵衛に義理を立てて母親を追いかえしてしまった。しかし伝兵衛は、蝶松の心の中を思いやって源六にふくめて蝶松を越後補かえそうとするが源六がスリに路金をすられたため、二人で梅吉一座に加わった。その間に佐平次は父の仇を探す佐七の追求をさけて、その罪を伝兵衛になすりつけた。佐七の父と一緒に金鉱を探し当て、佐七の父を殺して地図を獅子の頭にかくしたのが伝兵衛だというのである。