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かた破り道中記

1959(昭和34年)/3/17公開     
配給:松竹 製作:松竹株式会社

関西喜劇人協会々員の総出演する喜劇。森田竜男の脚本を福田晴一が監督した。撮影は太田喜晴が担当。

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スタッフ

監督:
脚本:
音楽:
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ストーリー

NHKの公開放送「私の秘密」の今日のゲスト近藤勇太郎の御対面は元、周防の国五万五千石の富田藩々主吉川経春という百三十歳の老人。さてその経春が、幕末の頃勇太郎の曾祖父近藤勇と刃を交えんとした時の話とは・・・。慶応三年春、勤皇佐幕で世の騒がしい頃へ勤皇方の武器弾薬輸送を阻止せんと幕府の眼が東海道一帯をにらんでいた。折りしも江戸参勤を終えて帰国の途中、勤王の志厚い経春は長州藩家老の依頼によりその輸送を引き受ける。ところがその夜食べたフグがあたり、しかもかけつけた医者が馬医者であったため経春・側用人伊繊、他六人を残して他の家来は全滅と云う心細さ。しかし折りよく帰阪途中の日蓮宗身延講の一行を経春が巧みに勧誘して五、六十名の俄か藩士を集めるには至った。何とも珍奇な一隊。しかしとにかく、武器輸送の秘命を帯びた妙な大名行列は一路京都へ向かった。途中幕府のスパイに嗅ぎ付けられたり危い目にも会ったが早変わりの計や関所代官の温情でとにかく無事に進んでゆく。しかし武器引取りの際大金を立て替えた経春らは不自由をきたし、しかも山路の危険な行軍には脱落者も出る始末であったが苦心を重ねる経春を慰めるのは小姓に変装したお絹であった。一方京都では近藤勇と新選組の暗躍に勤皇の志士は武器到着を待望し新選組は奪取すべく待ちかまえていた。

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