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作品紹介

快人黄色い手袋

1961(昭和36年)/4/1公開     
配給:松竹 製作:松竹株式会社

川内康範が原作を自ら脚色し、新人第一回の市村泰一が監督した伴淳の活劇。服部幹夫が撮影を担当した。

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スタッフ

原作:
監督:
音楽:
撮影:

ストーリー

これは現代の奇跡の物語である。いつ頃からか、都内に歌声と共に黄色い手袋と称される怪人が出現、悪人たちを震撼させていた。袖下代議士の選挙違反、黒木屋脅迫事件、不正外車事件、庶民住宅の不正契約などがすでに黄色い手袋によって摘発されていた。捜査二課では正義の使者として、庶民の人気を呼ぶ黄色い手袋の逮捕に頭を痛めていた。新航空商社の社長赤木村がグラマー機の民間航空への切りかえに不正。グリー産業社長山梨の脱税。両者は黄色い手袋より多額な金を奪われた。その金は翌日、ヘリコプターを使って貧民街にバラまかれた。権藤部長刑事の取り調べに赤木村、山梨はゆすられた覚えはないと頑張った。だが黄色い手袋により警視庁に提出された細かいデーターによって二人は留置された。トップ社北条寺は婦人記者である妻のシマ子に尻を叩かれて黄色い手袋を追っていた。トップ社は黄色い手袋の正体発見に10万円の賞金をかけた。ある夜、私立探偵紫五郎太は靴みがきの次郎の報告で銀行ギャングを発見した。しかし黄色い手袋の出現によって一味は逮捕された。次郎は殺し屋黒い手袋の兇弾に負傷した。黒い手袋は黄色い手袋をおびき出すため、五郎太、シマ子をさらって、南太平洋の禿鷹一味に渡した。だが、その裏をかいて二人を救った黄色い手袋は逆に禿鷹から500万円を奪って去った。この時、シマ子と五郎太は黄色い手袋の首に発見したホクロが北条寺の首のホクロと同一場所にあるのに疑問を持ったが、北条寺にはアリバイがあった…。

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