1961(昭和36年)/12/27公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
柳沢類寿と菅野昭彦が共同でシナリオを書き、番匠義彰が監督した下町喜劇。撮影は生方敏夫が担当している。
カステラ屋として江戸時代からののれんを誇る、長崎開花堂の一人息子石原城太郎は、大学時代の友人中坂、酒井、川ロ、友田たちと、コーラス・グループ「ブルー・ロビンス」を結成している。城太郎は大学院に残り、学費はグループの維持費に使われていた。城太郎、一彦、健吉の三人は、上野のおにぎり屋「さくら」の二階に下宿していて「さくら」の女将たつ子の兄で材木問屋をしている周太郎の貯木場を練習場としていた。やめもの周太郎は娘の和子と番頭の金三に店をまかせ、幼馴染でやはりやもめの東東開花堂の女社長西浦光代のもとに毎日のように通っていた。和子は城太郎に好意をもっているが、開花堂の一人娘敬子も「ブルー・ロビンス」のマネージャー気取りで何かと世話をやき城太郎に好意を持っている。そんなところに城太郎の父、城兵衛が番頭の保吉を連れて上京して来た。カステラを製造する開花堂は、全国に九軒もあり、長崎開花堂がその元祖となっている。戦後は、元祖も、のれんわけの開花堂も、東京の開花堂に押されがちである、無断で開花堂を名乗る東京に、城兵衛が文句を言いに来たのである。城兵街と光代の話合いはこじれにこじれた。あわてたのは敬子である。ここで親同士が喧嘩をしては城太郎と結婚できない。敬子は周太郎に頼んだ。周太郎は城兵衛と光代に二人の結婚話を説き伏せた。二人は勿論大賛成である。だが、驚いたのは城太郎である。彼は和子と結婚の約束をしたばかりであった。城太郎は、敬子にはっきり自分の意志を伝え、敬子を愛している一彦と結婚するのが敬子にとって一番幸せなのだと強調した。東京開花堂と長崎開花堂の間には、再び戦端が開かれた…。