1967(昭和42年)/1/14公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
平岩弓枝の原作を、中村登が脚色・監督した文芸もの。撮影は竹村博が担当している。
上野池の端にある糸屋新堂は8代も続いた老舗であった。8代目の当主平七が亡くなって49日目の法要に遺言書が開かれた。それには三人姉妹--藤代、喜久子、桃子のうち、糸屋の家業を継ぐにふさわしい者を聟とした娘に店を相続させる旨が記されてあった。長女の藤代だけが正妻の子であったが、喜久子と桃子は妾腹で、芸者上りの、はつが二人の母親だった。はつは今、浜町の、料亭のおかみにおさまっていた。また糸屋の店には、持井啓二という亡き正妻の親類筋の男がいた。彼は糸屋の支配人格で秘かに藤代を慕っていた。糸屋の遺言書のことを知った啓二は、藤代に結婚して二人で糸屋をやっていこうと言うのだった。糸屋の大坂進出を機会に、藤代は帯の下絵のデザイナー勝間謙吉に会った。彼の父曽我も関西での紐作りの名人であった。藤代は新しい帯締創作のために、さらに奈良にも足をのばすが、彼女はそこで東京から追ってきた啓二と結ばれた。他方スチュワーデスの桃子も勝間に近づくが、藤代を愛していることを知って失望したが諦め切れなかった。糸屋新堂の秋の旅行が箱根に決まった。その一夜、啓二は、はつの周到に打った芝居に引っかかり喜久子を抱いた。三ヶ月後、彼女の妊娠が判り、啓二は喜久子と糸屋を継ぐことになった。桃子は母はつを激しく責めたが後の祭りであった。暖かい冬の一日勝間と藤代が組んで京都で催した創作ファッション・ショウは大成功だった。その日桃子は勝間を思うあまり、琵琶湖のホテルで多量の睡眠薬を飲んだ・・・。
毎日映画コンクール撮影賞(竹村博):毎日映画コンクール美術賞(梅田千代夫):毎日映画コンクール録音賞(田中俊夫):文部省芸術祭新人賞(竹村博)