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塩狩峠

1973(昭和48年)/12/15公開     
配給:松竹(受託配給) 製作:ワールドワイド映画

列車事故を身を挺して車輪の下敷になって喰い止めた国鉄職員の、純愛と信仰に貫ぬかれた生涯を描いたストーリー。三浦綾子の同名小説の映画化。脚本は楠田芳子、監督は中村登、撮影を竹村博が担当している。

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スタッフ

原作:
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ストーリー

名寄発札幌行きの蒸気機関車が、2両の客車をひいて塩狩峠をあえぎながら登っていく。国鉄職員の信夫にとって、今日は特別の日だった。札幌で幼馴染のふじ子との結婚式の当日なのだ。信夫は同乗していた行商人の六造との昔語りの中で、遠い追憶の中に浸った。明治19年、東京。信夫の母・菊は熱心なキリスト教徒だったために、祖母のトセから離別を言いわたされた。トセには頭の上らない、父・貞行は離婚をせずに菊を別宅に住まわせた。数年後、トセが死に、菊は家に戻って来たが、小学生の信夫は美しい菊が母親であることに内心嬉しかったが、キリスト教を信じている母が不気味でもあった。信夫は小学校で同級の吉川と気が合った。吉川には生まれながら足の不自由なふじ子という妹があった。やがて吉川一家は北海道へ渡っていった。明治32年夏、札幌。信夫は吉川の誘いに応じて、札幌の北海道炭鉱鉄道に就職した。そのころふじ子はカリエスで3年越しの病床にあった。しかし信夫は、19歳の彼女の美しさ、明るさに目を見張った。ある日、信夫は主任の和倉から娘を貰ってほしいと頼まれた。しかし、信夫はすでにふじ子に心を寄せており、吉川にふじ子を妻に欲しい、と正式に申込んだ。そして、吉川から、ふじ子はキリスト教徒だと知らされた。そこで初めて信夫はふじ子のかげりのない静かな微笑の原因が分ったような気がした。信夫は聖書を熱心に読み始めた。その頃、信夫は同僚の三堀が盗難事件を起こしたことを知り、自分が責任を持って彼を更生させるべき決心をした。

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