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衝動殺人・息子よ

1979(昭和54年)/9/15公開 130分    
配給:松竹 製作:松竹 / 東京放送

息子を殺された父親の悲しみと、同様の境遇の人々と共に、被害者遺族を保護する法律を作る運動を進める姿を描いたストーリー。昭和53年『中央公論』3月号に掲載された佐藤秀郎の同名のノンフィクションを映画化したもので、脚本は砂田量爾と木下恵介の共同執筆、監督も同作の木下恵介、撮影は岡崎宏三がそれぞれ担当している。

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スタッフ

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ストーリー

京浜工業地帯の一角で鉄工所を経営している川瀬周三は、身体のおとろえを覚え、工場の実務を二16歳になる一人息子の武志に譲った。秋には、妻・雪枝の郷里から田切杏子を迎え、結婚式をひかえていた。順風満帆、周三にはおだやかな老後が残されているだけのように思えた。昭和41年5月、武志は、友人吉川と近くの釣り堀に出かけた帰り道、ある若者に、すれ違った瞬間、腹部を刃物で刺された。武志の傷は深く、「お父さん、口惜しいよ、こんなことで死ぬなんて、仇は必ずとってくれよ」と言うと、周三の腕の中で息たえた。犯人は事件から3日後、自首してきた。ヤクザに「お前には蠅の一匹も殺せないだろう」と言われ、カッとなって、誰でもよく、最初に行きちがった奴を殺したと話した。武志の葬儀を境に、周三の生活は一変した。工場を放り出し、墓地通いが続く。昭和42年2月、事件から10ヵ月近くして判決が下った。被告が未成年であり前途あることから〈5年乃至10年の不定期刑〉であった。軽すぎる刑に周三は怒った。周三は法律相談の窓口を訪ねるが、こうした故なき災害に対する被害者遺族の補償は全く無いに等しかった。周三は法律の勉強を始め、そして、事件発生以来熱心な取材にあたっている新聞記者、松崎から紹介された、娘を殺された中沢や全国の同様の境遇の人たちと被害者遺族を保護する法律を作ってもらうよう国会に働きかけることを誓う。

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受賞歴

毎日映画コンクール優秀賞:毎日映画コンクール男優優秀賞(若山富三郎):ブルーリボン主演男優賞(若山富三郎):キネマ旬報賞主演男優賞(若山富三郎):日本アカデミー賞主演男優賞(若山富三郎)

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