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作品紹介

子どものころ戦争があった

1981(昭和56年)/2/14公開 101分 カラー   
配給:松竹 製作:松竹 / ブンコープロ

第二次世界大戦中、アメリカ人を父に持っていることから周囲に迫害され、土蔵に閉じ込められて暮らす混血の少女とその家族を描いたストーリー。日本児童文学者協会と日本子どもを守る会が編集した「語りつぐ戦争体験」の中の“泥血の少女の死”を中心に映画化したもの。脚本は鈴木尚之、監督は松竹労組大船分会委員長で、この作品がデビュー作となる斉藤貞郎、撮影は宇田川満がそれぞれ担当している。

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ストーリー

日本敗戦の色濃くなりつつあった昭和20年4月。多くの都市が焼かれ、子どもたちは集団疎開がはじめられていた。蓮池一枝も夫が召集されたので、一人息子の太郎を連れて、福島県磐城郡米川村の実家に帰るところだった。実家は古くからの醸造家だが、今は、軍の命令で味噌をつくっている。一枝の母、野本みよが、夫の死後、30年、女手ひとつでこの酒蔵を守り続けている。小学校2年の太郎にとって、大きな門構え、味噌樽、土間など、見るものすべてが珍しい。そんな太郎にみよは、二番蔵にだけは近寄るなと言う。実家には、一枝の他、二枝、政枝の二人の娘がそれぞれ戦争のかげりをもって身を寄せている。ある夜、二枝が警察に呼ばれ、アメリカ人の夫と娘エミのことを追及された。憲兵は夫のアーノルドが対日放送で“降伏”を訴えていると言う。みよは自分の反対を押し切ってアメリカ人と結婚した二枝に怒り、世間の非難から守るために孫のエミを蔵に閉じ込めているのだ。太郎は二番蔵が気になってならなかった。ある晩、太郎は母を捜して浴室を開けると、二枝と金髪の少女がいた。「アメリカ人がいる!」と言う太郎に、一枝はあなたのイトコ、と教える。憲兵や警察が執拗に二枝にエミの存在をたしかめに来る。気丈なみよは、その都度つっぱねていた。エミの悲しい顔が忘れられない太郎は、二番蔵のそばの柿の木に登り、窓からエミと話した。その日から、二人の対話がはじまる。

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受賞歴

マニラ国際映画祭カトリック同盟賞:ジフォーニ国際児童映画祭最優秀劇映画賞

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