1981(昭和56年)/10/31公開 115分 カラー
配給:松竹(受託配給) 製作:俳優座映画放送
昭和二十四年に起きていまだに多くの謎を残す、国鉄初代総裁下山定則が列車線路上に轢断死体で発見された下山事件を改めて追求する。矢田喜美雄の原作「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の映画化で、脚本は菊島隆三、監督は熊井啓、撮影は中尾駿一郎がそれぞれ担当している。
昭和24年7月、敗戦後の騒然とした雰囲気の中で労働運動は大きく高揚していた。昭和日報の社会部記者・矢代は、上野に集結するシベリアからの復員兵たちの集会を取材していたが、その時、下山国鉄総裁の行方不明を知らされた。翌朝、下山の死体が発見されると、政府はいち早く他殺説に近い立場をとり、各新聞の主張も自殺説と他殺説に分かれた。この中で昭和日報は、他殺の線ですすめるべく、矢代に東大法医学研究室を取材させた。矢代は遺体解剖を行なった和島博士の「死体轢断の鑑定は絶対に間違いない」という言葉で他殺説に自信を持つが、一方、事件現場近くで下山の姿を見たという証言者が現れたり、東大鑑定に対する慶應の異論も出て、自殺説がクローズアップされてきた。しかし矢代は他殺の可能性を執拗に追い続け、東大研究室に通い続けるうちに、轢断現場近くに、大山の死体を運んだ時についたと思われる血痕を自らの手で発見する。この発見と前後して無人電車の暴走という三鷹事件が発生する。追求の手をゆるめず走る矢代の背後に黒い妨害の手が現われ、ホームから突き落とされ、電車に轢かれそうになる。彼は検察の要請で特別研究生として身分を拘束されることになった。事件から一ヵ月後、警視庁が自殺を発表することになったが、突然、その発表は中止された・・・。
毎日映画コンクール優秀賞:毎日映画コンクール美術賞(木村威夫)