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地平線

1984(昭和59年)/2/11公開 136分 カラー   
配給:松竹(受託配給) 製作:MARUGENビル

実家の倒産を救うため、20歳で渡米結婚した女性を中心に、アメリカの大地に生き抜いた日本移民たちの姿を描いた感動のストーリー。新藤兼人が実姉をモデルに書き下した「祭りの声」をもとに、彼自身が脚本化、監督した。撮影を丸山恵司がそれぞれ担当している。

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スタッフ

原作:
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キャスト

ストーリー

1920年夏、藤木秀代は写真結婚でアメリカにやって来た。家の倒産を救うため彼女は多額の結納金を請求したが、それは夫になる良夫が十年間汗水流して貯めたものだった。それから、荒野の壮絶な生活がはじまった。灼熱の太陽の照る中、水を天びんで運び、石ころだらけの土地を耕す。秀代はホームシックでヒステリーを起こしたが、良夫の怒声がかえってきた。苦労の末、ようやく荒地も野菜畑に変わっていった。20年余りの歳月がたち、秀代は、太郎、サクラ、モモコ、アヤメと四人の母になっていた。1941年、12月8日、日本の真珠湾攻撃で太平洋岸の日系移民、12万は大統領令9066号により強制収容所送りとなる。藤木家はアリゾナ州ゴードン収容所に入れられ、土地も財産もただ同然で投げ棄てた。アメリカへの忠誠か、日本人たるべきかと重大な岐路に立たされた日系人は、一世と二世との間に骨肉の争いが起きる。ある日、スパイとして密告され拉致されたサトウを取り戻そうと暴動が起き、太郎が危険人物として捕えられた。収容所内では忠誠登録が優勢となり若者たちはアメリカ軍隊へ志願して行った。許されて戻った太郎も志願して出征した。原爆が広島に落とされ戦争は終った。1945年、収容所生活4年目、藤木一家はもとの土地へ戻ってきた・・・。

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