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従軍慰安婦

Military Comfort Woman

1974(昭和49年)/7/17公開 86分 カラー シネマスコープ 映倫番号:17990 
配給:東映 製作:東映

己の肉体を兵隊に捧げることが″お国の為″と信じて戦地へ赴いた慰安婦たち。北支前線へ送られた慰安婦たちと兵隊の最前線での性を描いた戦記異色作。

従軍慰安婦
(C)東映

ストーリー

昭和12年秋、北九州の貧村の娘、秋子、道子、ユキ、梅子らは前金千円で買い集められ、家のために身を売らされたが、兵隊を慰めるのはお国のためと信じきっていた。秋子らは博多の遊郭で手練手管を仕込まれ、生娘であった秋子と梅子は輸送指揮官に水揚げされた。主人金山が後に女を中国に贈るのに便宜を図ってもらうためだった。秋子には恋人正夫がいて、罪の意識が拭えなかった。彼女の支えは好きな男の子供をはらんでいた中年女郎のひろ子だった。出征間近の正夫と会うことができたのも、ひろ子の取り計らいのおかげだった。昭和13年春、多くの兵士たちに混じって秋子らは中国へ送られた。慰安婦と呼ばれた彼女らは、目的地への道中、軍用列車が停車するたびに車内で警備兵を慰めた。九江についてしばらくは、慰安婦を求める兵隊の列が絶えず、一日数十人らの相手をした。彼女らの肉体は徐々に蝕まれ、ある日ふさが吐血して倒れ、息を引き取った。昭和13年秋、戦場は南下し、日本軍は広東へ迫り、金山の慰安隊は前線基地へ送られた。秋子はそこに正夫がいると聞かされ、彼を捜し求めると同時に、自分の哀れな姿を見られるのが恐かった。二人は再会した。「お互いに愛し合っていれば汚れることはない」、正夫の言葉に秋子は思わず彼の胸にとびこんだ。二人は初めて結ばれた。しかしそれもつかの間だった。慰安婦は看護婦としても狩り出されたのだ。銃弾を浴びる正夫のもとへ飛び出し正夫にしがみつく秋子。その背後から容赦なく銃弾が突き刺さった。ひろ子らは、死んだ仲間を手厚く葬ることもできず、ただ明日への望みを祈るだけだった。

従軍慰安婦
(C)東映
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