1950(昭和25年)/12/1公開 80分 モノクロ スタンダード 映倫番号:332
配給:東京映画配給 製作:東横映画
成田信哉はその封建主義な性格で伯爵家の家扶を勤めていたので、養子である成田彌門はその影響を受け、伯爵家の若君である藤麿と一緒に武家教育を徹底的に仕込まれていた。人に優れた身体と大きな頭、そして立派な筆跡の才を持っていた彌門は、藤麿が留学から戻り家の生活様式を大きく変えた時も、信哉の死後も藤麿の相手を仰せつかる事ができた。だがそんな彌門でも、藤麿の女遊びにお供させられることが何よりも辛かった。彼は藤麿が大きな頭を「水頭」と呼んで慰み物にされるのが嫌だったのだ。だが、女中のお芳だけは彼に同情し、いつしか二人の間に愛情が芽生えていた。藤麿はそんな二人を「不義は御家の法度」と行って伯爵家から追い出してしまった。二人は結婚し、彌門は帝室博物館で働くようになった。彼の能筆は特に重宝がられ、大正天皇即位記念切手の意匠の写真モデルを担当することとなる。彌門の名は有名となり、大正天皇の帽子をある公爵から頂くのだった…。