1960(昭和35年)/2/23公開 96分 モノクロ シネマスコープ 映倫番号:11597
配給:東映 製作:東映
子母沢寛原作による股旅物の傑作を中村錦之助、東千代之介の二大スター競演で描いた痛快娯楽時代劇。恋と意気地に賭けた一世一代の剣が舞う!
遠くに浅間、近くに榛名、妙義を仰ぐここは上州松井田の宿。旅鴉りゃんこの弥太郎が草鞋を脱いだ貸元・虎太郎は、やくざ渡世の親分衆の中でもよく出来た男だった。虎太郎の娘・お雪も、父の蔭で一家を切り盛る評判の娘だったが、どこか並みの旅人と違った気品のただよう弥太郎にいつしか胸を騒がすようになっていた。
この松井田の宿に、桔梗屋という料亭があったが、女将のお牧がなかなかの食わせ者で、表向きは虎太郎の妾に納っていながら、裏では安中宿の貸元・お神楽の太八といんぎんを通じていた。
弥太郎はふとしたことからこれを知り、虎太郎がお牧を後妻に迎えれば、娘のお雪が不憫だと、八州見廻り役・桑山盛助に会って、虎太郎の目をさましてやってくれるよう頼んだ。
八州見廻り役と一介の旅鴉、一見奇妙な取り合せだが、この弥太郎もとをただせばれっきとした旗本の御曹子で桑山盛助とは幼馴染みの間柄だったのだ。弥太郎の二つ名のりゃんことは、この二本差しの武家育ちに由来するものなのだ。
弥太郎は、盛助がお牧の仕末を引き受けてくれると、折からの祭ばやしとお雪の涙を後に送られて再びふらりと旅に出た。
桑山盛助は松井田に出掛けて近在の親分衆の集まった席でお牧の素状を暴いたが、このことを根に持った大八は、それから間もなく虎太郎を卑劣な闇討ちで殺してしまう。
こうなると、やくざの仁義などというものはいい加減なもの、一人去り、二人去り忽ち乾分たちは大八一家に寝返ってしまった。
人情は春の淡雪のように果敢ない。しかし、弥太郎さんだけは、きっと、きっともう一度帰って来てくれる…。お雪は僅かに残った虎太郎の家だけをしっかり守って、弥太郎の帰りを待っていた。
その弥太郎は、あれから気ままな風に流れての一人旅。道中、吉太郎といういかさまバクチを使う男と知り合った。この吉太郎、渡世人の風上にもおけぬいかさま師だが、半面なかなか面白い気っぷの男で、弥太郎はその気性に惹かれ、吉太郎もまた弥太郎の度胸と腕にぞっこん惚れ込んだのである。
だが、親分なし乾分なしの気まぐれ弥太、吉太郎ときっぱり別れ、一人旅を続けてやがて一年の年月が流れた。
その間も、弥太の胸中に常に去来するのは、松井田宿で別れたお雪の美しい面影だった。折も折、弥太郎は、虎太郎一家で唯一人、太八一家に操を売らなかった玉藏にバッタリと出くわした。
聞けば、我が耳を疑う虎太郎が一家の凋落ぶり、それも元をただせば自分のおせっかいからと知った弥太郎は、縞の合羽に風をはらんで松井田宿に向って素っ飛んだ。
「お盛んな折柄にはお断りしたものの、今日になってみりゃ、りゃんこの弥太郎。勝手ながら確かに跡目に立たせて頂きやす!…」
松井田宿に帰った太郎は、独力で一つ一つ、失なわれた虎太郎の繩張りを取り戻していったが、もとよりお神楽の大八とて指を食わえて引っ込んでいる訳がない。
折から松井田宿は一年前と丁度同じ祭りばやしの賑わい。大八は、虎太郎を殺した同じ手段で、踊りの雑踏を利用して弥太郎を際どいところへと追い込んだ。
これを救ったのが、大八の家に草鞋を脱いでいた吉太郎。「冥土へ行くなら静かに行けよ…。」
あとは、直参くずれの二本差の弥太郎が一世一代の剣の舞だった。