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つばくろ道中 

Journeying Swallows

1960(昭和35年)/9/18公開 68分 モノクロ シネマスコープ 映倫番号:11930 
配給:東映 製作:東映

若いやくざ・今朝吉を通じて、やくざ渡世の愚かしさ、はかなさ、肉身の情の切なさ、その中に咲く清新な恋を描いた新風三尺物。

つばくろ道中 
(C)東映

ストーリー

我孫子水神の祭礼の夜、宍戸のおりん一家が幕張一家の賭場を荒らし、我孫子の兼六宅に遊びに来ていた幕張利兵衛の息子・勝蔵、藤吉の二人のうち、弟・藤吉の片腕を叩き斬った。「このままじや、募張一家の名がすたる」すぐに殴り込みをかけようといきり立つ息子たちを前に利兵衛の顔は冴えなかった。
15年前、男の意地から後添えの女房おりんを賭け、敗れて宍戸の吉兵衛に引渡したもののいまだに未練のある利兵衛だったのだ。おりんは、幼ない今朝吉とも無理に別れさせられ、新しい夫の吉兵衛を闇討ちされたと思い込み、利兵衛に対し激しい憎悪を抱いていた。勝蔵、藤吉らの強い意見に押され、利兵衛は喧嘩状を宍戸一家に届けさせる。使者の勝蔵は、今朝吉に持たせてやれと説き、何も知らない今朝吉は男を立てる良い機会と大張り切りで宍戸へと向う。
一方、宍戸では一の子分の勘蔵はじめ、寝返った我孫子の兼六らが、利兵衛闇討ちの相談を進め、兼六の案内で源造ら子分を募張にさし向けた。
今朝吉は、道中でおなつという娘と親しくなり、口喧嘩の花を咲かせながら宍戸への旅を続けた。我孫子の兼六一家に鞋を脱いだ今朝吉に、兼六夫婦の意味あり気な視線が交わされて、その夜ぐっすり眠っている今朝吉が襲われた。
「畜生っ、そうだったのか!何も知らずに泊った俺らは頓馬のことよッ!」たかが若僧一人と見くびった兼六一家だったが意外に鋭い今朝吉の長ドスさばきに、次々と倒された。「野郎動いてみろいッ」兼六の手には短筒が冷たく光っていた。しかし、短筒は何者かの投げた徳利に叩ぎ落されていた。「飛道具とは卑怯だな」旅から帰って来た用人待・矢波一八が、今朝吉の相手を買って出た。再び卑怯な兼六が放った短筒が肩をかすめ、今朝吉は崖から転落する。止めを剌そうとした一八は、懐の喧嘩状を見て舟着場の茶店で手当をしろと今朝吉を逃がした。茶店の娘・おしづの手当を受ける今朝吉に、おしづの父・弥助が「やくざは人間のくず」だと苦い顔をする。夜秘そかにたずねて来た一八に、おしづはもう別れないと取りすがるが、弥助に引き離された。一八は自分はやくざな人間だから、おしづを幸せに出来ない、と悲痛な言葉を残して立ち去るのだった。宍戸一家の源造らは、幕張一家の不意をついて殴り込みをかけると利兵衛を斬った。苦しい息の下から「おりんだけは殺すな。今朝吉が可哀そうだ」と云い残す利兵衛だった。旅の途中で、勝蔵、藤吉から父を討たれたことを知った今朝吉は、一人決然として宍戸へ乗り込んだ。「私をおっかさんと呼んでおくれ」というおりんに「鳥でも子の待つねぐらべ帰るもんだ。十五年も捨てておいて…。俺のおっかさんは三つの年に死んだんだ」と答える今朝吉。しかし、その瞼には光るものがあった。宍戸一家に取りまかれて死闘する今朝吉、後から襲う勘蔵の槍の前におりんが身を投げた。
取りすがる今朝方の腕の中で、おりんは嬉し気に息絶えた。今朝吉怒髪の長ドスが涙と共に血煙りをあげて、一八の助勢を得て宍戸一家を叩き斬った。一切の罪をかぶって自首する一八に送られ「堅気になって帰って来る」とおなつと別れた今朝吉の三度笠が川霧の彼方に小さく消えて行く…。

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