作品検索

作品紹介

剣豪天狗まつり 

Swordsmen's Festival

1961(昭和36年)/3/21公開 88分 カラー シネマスコープ 映倫番号:12237 
配給:東映 製作:東映

史上有名な寛永御前試合をバックに、念流の達人仏子四郎五郎の剣道修行を中心として、多数の武道の名人、妖しき男装の美女などが入り乱れる、胸のすく武道大絵巻。

剣豪天狗まつり 
(C)東映

ストーリー

徳川の世も三代、天下も漸く泰平に馴れた家光治下の寛永十年五月十五日。江戸千代田城、吹上御苑に於いて、全国から呼び集めた諸芸の武芸者をして試合せしめた。世にこれを寛永御前試合と云う。天下の御意見番を以って任じる大久保彦左衛門が、安逸放縦をむさぼる旗本八万騎、将軍指南役、天下お止流の名をもって他流試合を禁じ、形剣道に案じる柳生流への不満を爆発させ、豊臣の遺臣の不穏な行動を恐れる、松平伊豆守等の反対を押し切って決行したものである。果たして全国に散らばる武芸者達に、異常な反響を呼んだが、話はこの御前試合の日から三ヶ月さかのぼって始まる。雪深い南部盛岡の地で、樋口定久に念流を学んだ仏子四郎五郎は、東北の雄藩仙台伊達家の指南役神尾主馬を見事うちすえた。柳生流の報復を避ける仙台を去った四郎五郎は、会津磐梯山中で天狗と称する老人に育てられ、すばらしい武芸を体得した異形の美女と出会い、その庵に止まる事となった。美女の招待は、慶長の昔、豊臣家と共に大阪城に滅んだ真田幸村の六女磯姫で天狗とは十勇士の一人筧十蔵であった。だが、四郎五郎は、天狗の請いを容れて山を去ったが、磯姫も御前試合への参加を口実に、男姿に身を変えて共に育った猿飛佐助の遺児岩猿を供に山を下りた。
江戸に向かった四郎五郎は、途中会津城下で柳生流鳴子典膳と立ち合い、勝を得たがその試合を見ていた、冴えた美貌ながらも、深い虚無の影を滲ます浪人、香取神刀流の使い手飯篠修理亮に好敵手と目され、つけ狙われる身となった。神尾主馬も旅に出ていた。指南役の地位も四郎五郎のために失ったのである。不幸は主馬だけではなかった。主馬の妹里美も、兄の旅立った後を狙って来た鎖鎌の使い手武田真竜軒に純潔を奪われたのであるその二人に四郎五郎が出会ったのは日光街道だった。真竜軒の分銅は唸りを生じて四郎五郎を襲ったが、念流合掌崩しに破れ、真竜軒の体は谷に落ち、里美は修理亮の手に委ねられた。磯姫も岩猿の手引きで、この宿に四郎五郎を追って来ていた。四郎五郎・磯姫、里美・修理亮、余りにも異なる二組が、それぞれの想いをもったまま一夜は更けて行った。仏子四郎五郎の江戸での宿は、彦左衛門の邸だった。そこには、十文字槍宝蔵院流宝蔵院胤舜、日置流弓術日置民部、棒術鹿島神刀流鷲津七兵衛等の諸豪が腕を撫して屯ろしていた。午前試合の噂は江戸っ子だけでなく、幕閣に於いても好個の話題である。
しかし、この噂に苦慮するのは柳生飛騨守であった。全国柳生流いや、諸流の総師としての面目を保つ手段、それは柳生流の当面の敵、仏子四郎五郎を倒す事である。柳生の使者が、里美と共に隠れ住む修理亮の所に向かったのは、執拗に後を追って来た真竜軒を倒した時であった。修理亮に呼び出された四郎五郎は、上野池の端に対峙したが、二人を分け、勝負を預けたのは時ならぬ落雷であった。
寛永十年五月十五日、江戸城中吹上御苑。家光をはじめ諸大名がきら星の如く居並ぶ前、大久保彦左衛門、一刀流小野次郎右衛門を検証役として、試合の幕は切手落とされた。日置民部対鷲津七兵衛、神尾主馬対宝蔵院胤舜等々、磯姫も四郎五郎の反対を押し、山城磯之助と名乗り出場、渋川流柔術渋川伴竜軒と斗かい、壮絶な大業に仕留めた。勿論、この日の白眉は、柳生流柳生飛騨守と念流仏子四郎五郎であることは云うまでもない。潮騒ににたざわめきの中、じっと対峙した二人、行きづまる数刻のあと、烈しくからみ合った四郎五郎の木刀が折れ、飛騨守の木刀は落ちた。だが、検証役小野治郎右衛門の白扇は飛騨守に上がった。
それから数日、「立派に勝ちながら、負けの宣告を受け、じっと耐え、しかも江戸を去るとは」重い口調の彦左衛門の言葉を後に四郎五郎は江戸を去る覚悟を決めた。今は復讐をあきらめ、一人の女として生きる心を固めた磯姫と共に。

剣豪天狗まつり 
(C)東映
ページの先頭へもどる
一般社団法人 日本映画製作者連盟・会員(4社)