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作品紹介

水郷哀話・娘船頭さん

1955(昭和30年)/3/30公開     
配給:松竹 製作:松竹株式会社

伏見晁が脚本を執筆、短篇映画「娘の晴着」を発表した萩原徳三が第一回長篇作品としてメガフォンをとる。撮影は厚田雄春、音楽は池田正義が担当する。出演者は美空ひばり、石浜朗、片山明彦、御園裕子、市川小太夫、沢村貞子など。

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スタッフ

監督:
脚本:
音楽:
撮影:

ストーリー

水辺の町潮来に、お光の家は兄の信一と祖父の源助と三人暮らしである。源爺は漁に出かけ、信一は渡しの船頭をやっている。お祭も近くなったある日、美校生の水野が東京から絵を描きにやって来て、信一とお光と知り合い仲良しになった。信一はかねてから東京で働きたいと思っていたが、源爺はそれに反対であった。お光は水野の叔父が東京でラジオ工場をやっているというので、信一の就職を水野に頼むのだった。間もなく東京へ帰った水野は、早速手紙をよこして信一の就職に承諾の意を示した。あとのことを心配する信一だったが、お光は兄を元気づけてそっと東京へ発たせた。それを知って立腹した源助も、ほんとは淋しそうで、居酒屋で酔って来る日が多く、そのためかやがて寝込んでしまいワカサギ漁にも行けなくなった。お光は漁師の久作に頼んでワカサギ漁に連れて行ってもらい、その分前の金を信一を愛している妙子に託した。信一が工場で怪我をしたと知らせがあったからだ。始めてそれを知った源助は、心配の余り、お光の前で信一に対する憤りの念をもらした。ところが妙子とすれ違いに帰って来た信一は、図らずもその声を外から耳にし、自分の弱気を恥じてそのまゝ東京へ引き返して行った。無理してワカサギ漁に出た源助の容態が悪くなり、床に就いてしまった。お光は渡し場にいて、再び訪れた水野の姿を見出した。水野は約束した絵をお光に渡し、霞ケ浦を廻って東京へ帰って行った。お光が家へ帰ると、源助が苦しい息の下で信一の名を言いかけながら息を引きとった。水の上をお光の船が通り、その歌声も悲しく流れて行く。

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