1961(昭和36年)/4/9公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
丹羽文雄の「水溜り」「校庭の虫」の二つの短篇を山内久が脚色し、井上和男が監督した。撮影は堂脇博が担当している。
水溜まりの多い道路をはさんで貧弱な工場が並んでいる東京の場末の工場街。茂子が事務員をしている須山鉄工場もその一角にあった。茂子の母のツネも雑役婦としてそこで働いていた。茂子と工場主須山との間には肉体関係があった。ツネが就職できたのもそのためだった。弟の武は大学に通っていた。授業料を須山からユスった。女工の村子は武が好きだった。須山鉄工場で首切りが発表された。職工の田井を中心に動きつつあった組合の結成をつぶすのが目的だった。その夜、武はツネが首を切られなかったのは、茂子が寝物語で須山に頼んだからだと、悪態をついた。茂子は家を飛び出した。だが、やはり他人の世話を受けなければ生きていけなかった。取引先の重役山根の囲い者になった。ツネは解雇された。同じく首を切られた村子は、マッチの光で下半身を見せる商売を始めた。が、酔客に犯され、これを武に知られた。武は水溜りに彼女を突き倒し「バカヤロ」とどなるのだった。ヤケになった武は、銅屑の窃盗に加担することを決意した。が、目的地には与太者たちが待ちうけていた。武は病院に運ばれた。危篤状態を脱して武も小康をえた数日後、ツネと村子は佃煮工場に就職が決まった。村子はツネに「元気を出そうね、母ちゃん」と言った・・・。