1961(昭和36年)/11/1公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
樫原一郎の「ニッポン警視庁」を原作に八住利雄が脚色、井上海次が監督した二人の刑事の半生記。撮影は石本秀雄が担当している。
大正15年3月、辺見三郎太は警視庁巡査採用試験に合格、鹿児島から上京した。下関で汽車をまちがえ、入所式に遅刻した辺見は採用をとり消されそうになるが、白サヤの短刀をとり出し「こいから上野公園とかへ行きもんで、西郷どんの前で腹切い申す」と、本多教官に食いさがった。汽車の中で知り合った象潟署の松山部長刑事の口添えで、やっとのことで許された。“短刀で教官をおどした薩摩ぽう”と評判がたち、辺見は名物男として知られるようになった。東北の農村出身の二瓶米作と親友になり、励まし合った。二瓶は熱しやすい辺見に比べ、地味で朴訥、しかし粘りづよさでは薩摩隼人の辺見にも負けない激しい情熱を内にもっていた。やがて練習所を卒業後、辺見は象潟署管内の浅草公園巡査派出所へ、二瓶は浅草橋巡査派出所へ配属された。昭和2年、説教強盗、ピストル強盗という二大事件が発生した中で、二人は刑事に昇格。辺見は巡査時代に知り合った滝代の妹信子と見合結婚、二瓶は郷里の許婚と結ばれた。辺見の婚礼の夜、ピストル強盗によって二人の巡査が倒れた。必死の張り込み。辺見は十日目に犯人福田諭吉を捕えた。同じころ説教強盗妻木松吉も捕まった。翌年、辺見は長男竜四郎をもうけたが、刑事という激務の夫をもつ信子の健康は急速に衰えていった。二瓶家にも長男正一についで道代、昭夫と生まれた。やがて満州事変、そして国際連盟脱退。そのころ五人を射殺するという質屋強盗事件が発生、犯人岩下熊吉の山狩りを行う辺見のもとに信子、危篤の報が…。