1961(昭和36年)/12/24公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
花登筐のオリジナル・シナリオを、的井邦雄が監督した喜劇篇。撮影は太田喜晴が担当している。
明治の頃。大阪名代の浪花まんじゅうの一人天満屋中兵衛は右七、左七の両番頭にのれんを分けた。本家を名乗る右七に対し、左七は元祖と称して道頓堀に店を出したが、二人はことごとにいがみあった。みかねた中兵衛の仲裁で、先に跡取りを作った方が残ることになった。ところが右七、左七の女房うき、さちは石女で、右七は女中おわかに男児を産ませたが、一瞬早く左七は新地の芸妓、鉄砲に男の子を産ませていた。かくて大正時代。右七は亡くなり成長した跡取り右之助は、カフェ・チェリーにまんじゅうを売り歩くほど落ちぶれていた。一方、元祖の二代目左之助は、チェリーの女給ハルミに惚れて通っていたが、大変なお大尽振りであった。二人の因果関係を知ったハルミは、右之助をあわれに思い、「本家を再興しなさい」と左之助からの贈物をことごとく右之助に与えて後援した。その上、左之助にもらった元祖の土地権利証まで右之助にやってしまったから大変である。形勢は逆転した。元祖は物置住まい、本家は隆々となって右之助はハルミと結ばれた。ところが、召集された左之助が戦地で大手柄をたて、勇士として凱旋してきたから“元祖・勇士まんじゅう”は大繁昌。本家は再びハルミがダンスホールに出る始末で再逆転してしまった。ハルミは、お腹に赤ん坊をかかえていたが、客の山成金、山下に見染められ、本家をおこす金を出すとの約束で、娘うき子を右之助のもとに残して、九州へ嫁入りをした。時は移って昭和。元祖は左之助、繁子の間に生れた左太郎と妹サヨの代になり、本家もうき子と弟右太郎の三代目の時代に移っていたが、親達は相変らずいがみあっていた。しかし、昭和の子であるサヨと右太郎は、そんな親達に関係なくお互いに好きあっていた。もっとも二人にとって、左太郎、うき子が仲の悪いのが心配の種で、右太郎の友人三郎の入れ知恵で、あれこれ、二人を結ぼうと計画するが、どれもこれも失敗続き、そんな家庭に悲観した右太郎、サヨが、ある日、揃って家出してしまった…。