1966(昭和41年)/10/1公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
小野田勇、林謙一の原作を、山田洋次や元持栄美、桜井義久、吉田剛が脚色し、野村芳太郎が監督した続編。撮影は川又昂が担当している。
25歳の若さで未亡人になってしまったおはなはんは、夫の従卒だった細倉夫婦とも別れて、夫の故郷鹿児島へ帰った。がんこじいさんの襄介も、傷心のおはなはんには、優しく慰めの言葉をかけるのだった。やがて、生まれ故郷大洲の実家に帰ったおはなはんは、ようやく心の余裕を取り戻し、これからは二人の子供を立派に育てようと決心した。それは間もなく起こった父の銀行の倒産という不幸にも変わらなかった。そして長男の謙一郎が大病を患った時三日三晩、寝ずの晩の看病で救ったのである。その事が契機になって、おはなはんは女医になる決心をした。人生に積極的なおはなはんは、結局、田舎町に埋もれてはいなかったのである。明治42年おはなはんは再び東京へ向かった。そして、女ばかりの下宿屋に寝とまりしながら、必死の勉強が始まった。隣室の秋、お春という姉妹と仲良くなったおはなはんは、ある日、屋台の天ぷら屋をやっている細倉夫婦に会った。喜びの再会であった。やがて、細倉の許に身を落ち着けたおはなはんは、努力のかいがあって、見事東京女医学校に合格した。しかし、喜びの後には悲しみが待っていた。おはなはんの母、てるが死んだのである。二児を連れて帰郷したおはなはんは、また、新たな悲しみの涙にくれたが、子供を立派に育てると仏前で誓うのだった。そして、この悲しみを乗り超えたおはなはんは、東京に戻ると、二児の世話をしながら、女医学校に通うという忙しい毎日を送ったが、おはなはんには充実した日々だったのである。