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シンガポールの夜は更けて

1967(昭和42年)/1/2公開     
配給:松竹 製作:松竹株式会社

成澤昌茂が自身の原作を、橋幸夫のヒット曲にもとづき脚色し、市村泰一が監督した歌謡ロマンス。撮影は小杉正雄が担当している。

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スタッフ

原作:
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ストーリー

クレー射撃場の指導員三崎敦は百発百中をもって知られた人気者だった。彼は友人石橋幹夫の経営する飲食店の二階に下宿していた。ある日彼は射撃練習にきた混血娘の王明芳と知合った。彼女はシンガポールの東華飯店の娘で、黒沼が主宰するインターナショナル・プロの招きで、同プロのマレー踊りの臨時教師として来日していた。ある夜敦は、東華飯店の東京支店で明芳と会い、彼女から彼の異母妹白蘭がシンガポールの明芳の店の踊り子をやっていたことを聞いて驚いた。数日後彼は大切にしていた連発銃を手放して白蘭を探しにシンガポールへ発った。その夕方敦は南国の街に降り立ち、早速シンガポールの町を八方手をつくし探し回ったが、手がかりはなかった。偶然、彼はバー・デルタで幼友達のまゆみと再会した。白蘭のことをたずねると顔を曇らすだけで何も語ろうとはしなかった。やがて明芳も日本から帰ってきた。敦と明芳はふとしたことから白蘭がマレー人部落にいる消息をつきとめ、現地少年に案内されて部落へ向かったが既に白蘭は小高い丘の墓の下に眠っていた……。何者かに身体を汚されることを避けての自殺だった。敦は必ず仇をうつと誓い、妹を死に追いやった男がデルタに出入りしていたことを聞いてデル”を洗い始めると、一味は東南アジアに根を張る組織であることが分かり、さらに驚いたことには陰で操っていたのがインターナショナル・プロであると知って急ぎ日本へ戻った。だが幹夫たらの協力も空しく、すでにインターナショナル・プロは閉鎖されていた。やがて明芳も敦の後を追ってシンガポールから東京にやってきた。

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