1960(昭和35年)/9/4公開 109分 カラー シネマスコープ 映倫番号:11870
配給:東映 製作:東映
佐野の豪商・次郎左衛門は顔にあざがあるため女には縁がなかった。そんな次郎左衛門に吉原の遊女・玉鶴が近づいてくる…。
武州佐野の次郎左衞門は、律気で真面目な商人として平凡な一生を終えるはずだったが、生れながらの醜い痣が彼を悲劇の主人公に仕立てたのである。
百姓次兵衞夫婦の手で育てられた捨て玉の次郎左衞門は、機屋で財をなしたものの痣が災いして女には縁がなく、たまの見合い話もすべて失敗に終った。
その度ごとに心を曇らせるのは、下僕の治六と行末を誓った織娘のお咲だ。だが、次郎左衞門にも女を知る機会が訪れた。幾度目かの見合いの帰り、取引先の江戸の問屋や仲買い衆の誘いに乗って花の吉原の大門をくぐり、仲之町兵庫屋で一夜、遊女・玉鶴の情けを受けた。
「心の中まで、痣があるわけはないでしょ」
生れて始めて顔の痣を忘れさせる嬉しい言葉を投げてくれた玉鶴は、岡場所上がりのいやしい遊女で根がふてぶてしい上に太夫の位に憧れを抱いていた。そこへ飛んで火に入る夏の虫、金には不自由せぬ次郎左衞門が現れて、松の位の太夫を狙う腹が決まったわけだ。
玉鶴には栄之丞と云うやくざの情夫があるが、色香に迷った次郎左衞門は気づかない。仕事にかこつけて江戸に通っては吉原に居続けするうち、引手茶屋の大将に五十両の大金を預けて女の身請けを夢みるようになってきた。日が経つにつれ、治六の暗い顔や問屋丹兵衞の意見をよそに、百両、二百両と大尽遊びも派手になり、玉鶴に入れあげた揚句に太夫の位をねだられて、夫婦約束の上それを承知する。
太夫修業にいそしむ玉鶴の毎日は、前と変って厳しいものになった。披露目も明けて三月と決まる。
折から信州一円に雹が降り落ち、桑の木が潰滅、下請け業者の生死にかかわる事態となった。玉鶴を残して武州に帰った次郎左衞門は、彼等のために八百両の金子を融通したが、吉原に舞い戻れば玉鶴の披露目と身請けの仕度金八百両が必要となる。
思案の揚句、捨て児時代の守り刀を手離すことに決めて、治六を伴ない江戸の問屋筋に今後の融資を受けるべく武州を発った。
無事千両の金を手にした次郎左衞門は、玉鶴の太夫披露目をあきらめていた。刀を売ったその金で玉鶴を妻に迎え、故郷に帰って再び仕事に精を出そうと云って治六を喜ばせ、引手茶屋に立ち寄ったものの玉鶴披露目の派手な噂を聞いて急いで兵庫屋に駆けつけてみれば、既に二代目八ツ橋太夫の襲名が内定していた。あわてふためいて兵庫屋に訳を話してみても、位定めも認められた今、請け出しだけの虫の良い申し出が通る訳もない。さんざん毒づかれた上、肝心の玉鶴にまで泣きつかれ、「あたしゃ松の位に上って、岡場所上りと蔑んだ朋輩衆を見かえしてやりたいのさ。それから贅沢に身請けをされたいんです。請け出してくれる人は誰だっていい…」との本音まで聞かされて、今の今まで思いもよらなかったつれない女の心にただ呆然となり自棄的に技露目を約束する破目となる。だが、例の守り刀が稀代の妖刀で徳川御禁刀の千手院村玉と知っては約束の八百両も手渡せない。
だが次郎左衞門には、問屋筋から預った千両があった。それを握って引き下り、治六と共に傷心の身で武州に帰る。
次郎左衞門の脳裏にふと我が身の因果が甦ってきた。
「こんな片輪ものに生れなきや、女の口舌に騙されて身代を潰すこともなかったんだ!馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め…」怒鳴りながら呻くように嗚咽を繰り返すそ涙が右頬の醜い痣を濡らす。二、三日後、玉方に出ることを口実に、家屋、身代いっさいを整理し、治六とお咲に夫婦の盃を固めさせた上、次郎左衞門はひとり江戸吉原大門をくぐっていた。
折から仲之町は桜正月、兵庫屋の表は黒山の人だかり、二代目目八ッ橋の玉鶴が豪華な盛装で奥から静かに現れた。吉原ぞめきもうきうきと出世披露目の道中に移ろうとした時、行列の群に飛び込んだ次郎左衞門の右手には村正が握られ、あっと云う間に男衆を斬った。うろたえまわる女を男を次々と斬り倒し、狂った刃は執拗に八ッ橋を追って、「おいらん、死んでくれ、死んでくれ!」叫んで一太刀、ずっしりと斬り下げた。
大門が閉され、非常の半鐘が鳴りわたり、鳶の者が取り囲む中、八ッ橋の死体のまわりで刀をかざしつつ次郎左衞門は叫び続ける。
「寄るな、この女に手を触れるな、これはわしの女房だ、わしの女房だ…」