1961(昭和36年)/3/28公開 150分 カラー シネマスコープ 映倫番号:12261
配給:東映 製作:東映
日本一の豪華配役で描く元禄大絵巻!赤穂義士と謳っていた四十七士を“赤穂浪士”と名づけ、反権力のレジスタンスとして描いた大佛次郎の名作の映画化。千恵蔵・右太衛門、錦之助・橋蔵の大顔合わせ。東映時代劇黄金期のオールスターを結集した東映創立10周年記念大作。
花の雲、鐘は上野か、浅草か、俳聖芭蕉が謳い上げた元禄の春は、江戸開府以来すでに百年、五代将軍綱吉の治下、世をあげて泰平の夢に酔い痴れていた。諸民のいましめとして、江戸市内各所に立てられた高札の中、第七条「賄賂は、厳禁のこと」の功が、墨黒々と消された事件が相次いで起り、町奉行松前伊豆守を激怒させた。高札、禁令も何処吹く風と、賄賂政治に狂奔する腐敗役人と、悪徳商人へ一矢報いた、高札汚しの犯人と見られるニヒルな浪人堀田隼人は、目明し金助に追われ柳湯で逃げ場を失うが、腰巾着の佐吉の機転と、堀部安兵衛の好意で急場を脱した。
播州赤穂五万石の当主浅野内匠頭長矩は、勅使、饗応役を命じられたが、作法指南役である強欲な吉良上野介は、潔癖な内匠頭が、賄賂をしなかったことを遺恨に思い、事々に遺意地の悪い仕打ちをした。伝奏屋敷二百畳の畳替えもその一つ、これは安兵衛の奔走と、畳屋加兵衛の義侠で事なきを保ったものの、短気な内匠頭にとっては、饗応の毎日が針の筵であった。傷心の内匠頭を慰めたものは、浅野邸を訪れた親友脇坂淡路守の、隠忍自重を説く友情と、国元の大石蔵助ら家臣から送られた赤穂名産鯛の浜焼きだった。しかし、自重を誓った内匠頭も、勅使登城の当日度重なる屈辱に耐えかね、松の廊下で、上野介に刃傷に及んだ。内匠頭は、田村右京太夫邸に身柄を預けられ、即日切腹を命じられた。「風さそう花よりもなお、我はまた、春の名残を、如何にとかせん」無量の思いを込めた辞世一片を残し、桜花散る中に、内匠頭は、その短い生涯を閉じた。悲報は、直ちに、赤穂にとんだ、城代家老大石内蔵助を中心に、藩論は、一転、二転、ついに殉死と決った。総数わずか六十余名だった。
一方、内匠頭切腹、上野介お構いなし、という片手落ちな幕府の処断を聞いて、一人心痛するのは、上野介の長子綱憲を当主とする上杉家の家老千坂兵部だった。兵部と内蔵助は、かつて山鹿素行門下の双璧と謳われ、また無二の親友でもあった。それだけに、内蔵助の非凡の才を知り、その胸中をうかがい得る兵部は、病態を押して急拠出府した。兵部は、清水一角に命じて、腕利きの浪人を集め、上野介の身辺を守らせた。活きる喜びを失った隼人も、その腕を買われ附人の一人となった。兵部は、妹仙に、赤穂に在る内蔵助らの動静を探ることを命じ、隼人も、佐吉と共に赤穂に赴いた。赤穂城受取の任に当たった脇坂淡路守は、城中で、内蔵助に会い、刃傷のあと取り調べに際し、「一乱心と云えば身一つの処断で済むが、意趣が立たず、家臣が憐れだが……」と血涙と共に語った内匠頭の言葉を伝え、内蔵助の奮起を促すのだった。殉死を誓った同志に、内蔵助は、仇討ちの意志を打明け、静かに、城を明け渡した。赤穂街道、長男松之丞と共にはるか赤穂城に別れを告げる内蔵助に、上杉家差廻しの刺客が襲い掛かるが、不思議な乞食の剣豪に追い払われた。乞食は、意外堀田隼人、しかし内蔵助は「無用の手出し」と、かえって戒めた。早とは、内蔵助の従兄大石無人の子で、堀田家に入り、剛直な養父が、賄賂をせず、御家改易のあと切腹以来世をすねた男であった。不可解な行動をする隼人を仙がとがめ、短筒によって隼人は傷ついたが、これが機縁となって、二人の心が相寄った。京都山科に居を構えた内蔵助は、京童のそしりを他処に、連日祇園一力で、遊蕩に日を送り、挙句の果ては、妻子を別離し、遊女を身請けするなど放埒の限りをつくしていた。そしりの中で唯一人、兵部だけは、内蔵助の苦しい胸中を知っていた。「くらぞう奴、裸でわしにぶつかって来おる」病?をおして、対策を講じる兵部の苦悩も大きかった。意を決した内蔵助は、行動を秘すため九条家諸太夫立花左近と変名し、東下りの途中、三島の宿で本物の左近と遭遇するが、左近の情ある計らいで事無きを得た。また、思わぬ人兵部から、松之丞の元服名を手渡され、変わらぬ友情に哭いた。浪士たちの煮え切らぬ態度に歯噛みする赤穂びいきの畳職人伝吉は、或る日親方加兵衛の家で、大石、安兵衛から、討ち入りの大事を聞かされ、義に感じて、吉良邸絵図面の確認を引き受けた。だが、吉良邸で、清水一角に見とがめられ拷問を受けるが、口を割らなかった。
江戸の町に、再び義賊蜘蛛の陣十郎が跳梁し、目明し金助は、隼人をその犯人と狙うが、陣十郎の正体は、佐吉だった。江戸に帰った隼人は、長屋の一墨に、仙、佐吉と共に傷を養っていた。内蔵助は、機熟すと見て、討ち入りを決意し、南部坂に遥泉院を訪れ、言外に今生の別れを告げた。その前夜内蔵助をたずねた隼人は、義に勇む浪士たちの姿を見て何事か期すものがあった。
元禄十五年十二月十四日、夜来の大雪を蹴立て、本所松阪町吉良邸に討ち入った内蔵助ら四十七士は、見事怨敵上野介の首級を得た。本懐を遂げて引き揚げる赤穂浪士たちを見送る人々の内に、兵部の姿があった。「やがてわしも死ぬ、大石とあの世で会うのが楽しみだ」静かな言葉が口をもれる。そばには、内匠頭を止立てし、立身出世した梶川与惣兵衛を斬り、自らも仆れた隼人の面影を胸に抱いて、ひっそり佇む仙の姿があった…。