1959(昭和34年)/9/20公開
配給:松竹 製作:松竹株式会社
柴田錬三郎の『仁義と海賊』の映画化で、正統派ヤクザと新興派ヤクザの対立を描いたアクション・ドラマ。馬場当、桜井秀雄、山田洋次が共同で脚色、井上和男が監督した。撮影は森田俊保。
東京の下町を根城とする曽我一家は、紋十郎を親分とする紋十郎組と、磯五郎を親分とする五郎組とに分かれていた。大川添いの料亭で、紋十郎の勧進元による賭博が開かれた。中盆をつとめたのは、紋十郎の乾分山辰である。突然、カービン銃を手にした覆面の男三人が押し入り、三百万円を奪って逃走した--山辰は曽我和夫をたずねた。和夫は紋十郎の息子だったが、ヤクザを嫌いサラリーマンになっていた。山辰は、和夫に乗り出してくれるよう頼んだ。が、和夫は断った。紋十郎は磯五郎に金を借りようとした。しかし、磯五郎は担保の代わりに、十八人衆賭博を預からしてくれという条件を出し、さらに紋十郎の娘・艶子を乾分の嫁にしたいと言った。紋十郎は世話にならないと言って帰った。そして、三百万円の責を負って割腹した。葬儀の日、山辰は会葬客の靴の中に、カービン銃の男がはいていた三日月型の傷のある靴を見つけた。しかし、その靴はいつのまにか消えていた。山辰は磯五郎から借りた三百万円を持って、被害を受けた旦那衆に返して歩いた。それを受取った花火屋の旦那は意外なことを語った。返して貰った札が、盗られた札と同じ番号だというのだ。山辰は磯五郎を詰問した。磯五郎は「俺じゃねえ、中国人を洗ってみな」と言った。山辰は中国人の李長順を張り込んだ。彼を尾行していくと、和夫が現われ、李の入った喫茶店に入って行った。二人は裏二階で密談しているらしい様子だ。その後、その喫茶店に張込んでいた山辰は、逆に和夫や李に捕えられた。和夫は李は犯人でないと言い、今夜まで待てと言いふくめた。