1960(昭和35年)/10/19公開 77分 モノクロ シネマスコープ 映倫番号:11944
配給:東映 製作:東映
東映特撮陣の総力を結集して送るこの映画は、予想される第三次世界大戦の開始から終結までをドキュメンタリータッチで描き、心から平和を願う全ての人々の道しるべとして製作された問題作。
夏空に不気味に盛り上がってゆく原子雲、累々と横たわる焼けただれた死体…。15年前、広島に投下された原子爆弾の生々しい記録映画を見せられた高校生の茂夫、美栄、彰二、信彦たちは、その目を覆う惨状に慄然とした。しかも原爆よりはるかに強烈な水爆の生まれた現在、国内に外国の基地を持つ日本が、再びこの惨禍を繰り返すかもしれないのだ。茂夫たちを襲った重苦しい不安と恐怖は、ある日、発動機船で日本を脱出するという途方も無い冒険に彼らを追いやってしまった。しかし茂夫たちは途中台風に襲われ、下田沖でかろうじて救助される始末となる。若い新聞記者正木は、彼らを病院に訪ねた。「俺だって逃げ出したいさ」連日に亘るデモ、ストライキ、そして暴漢の首相襲撃と激しい社会の動きを追い続けてきた彼の眼には、現代は狂気の時代としか映らなかった。正木には病院の看護婦を勤める知子という美しい恋人がいた。ある日ボーリングセンターに遊んだ正木と知子は、結婚について真剣に語り合っていたが、突然、二人の耳に重大ニュースを告げるアナウンサーの声が飛び込んできた。興奮したその声は、今日の午後4時12分、韓国・臨津江上空でアメリカ空軍の輸送機が突如核爆発を起こした事を告げていた。ニュースは続いた。韓国側はこれを北朝鮮からの攻撃によるものと非難し、一方平壌放送は、38度線を越えるためのアメリカの挑発行為であると主張した。人々の恐れていた第三次世界大戦の導火線は遂に点火した。正木は取材に街へ飛び出していく。横須賀ではアメリカ第七艦隊が街中に非常呼集をかけ、国連もまた急遽安全保障理事会を開いた。
折も折、北京放送は、鴨緑江上空に侵入したU3型ジェット機がソ連軍に撃墜されたことを報じていた。東京の上空は続々と基地を飛び立つジェット機の鋭い金属音に覆われ、市民は異常な不安と緊張に包まれていた。銀行では遂に取りつけ騒ぎが起こり、デパートには品物の買占め客が殺到した。事の重大性に政府は遂に緊急事態を宣言、自衛隊には防衛出動及び治安出動の命が下った。かつて茂夫や美栄たちが抱いていた不安は遂に現実となったのだ。美栄の父である東京重機専務の市村は、妻の喬子や長男の大学生・憲一らの家族と共に、自家用車に食糧を積んで東京脱出を計った。道路はすべてこれらの自動車で埋まり、駅はつめかけた避難民で激しい混乱に陥っていた。かつて息子の茂夫の不安を一笑に付していた実直な銀行員の耕三は、その混乱の最中、疾走する車にはねられて無惨にも命を奪われてしまった。この車こそ市村の運転するものだった。避難に追われて今は医者さえ見向きもしない。ぶつけようの無い怒りが、そして悲しみが父の死を見つめる茂夫と姉・静子の胸を噛んでいた。
一方、正木は恋人の知子の身を案じて彼女の病院に駆けつけていた。だが患者は勿論、重傷者を残して医師も逃げ出してしまった病院に彼女の姿はなかった。その頃、知子は、騒ぎに巻き込まれ負傷した子供の手当てに看護婦としての最後の努力を続けていたのだ。平和を愛する全世界の人々の祈りもむなしく、対立していた米ソ間は遂に決裂、国連は解散してしまった。朝鮮の38度線は再び戦火に包まれ、台湾政府と中共の間もまた爆発した。汽車も電車も止まり、郊外の道は避難する自動車と群衆の洪水と化していた。更にそれに自衛隊の戦車が加わり、秩序は既に破壊され、目に余る掠奪と暴行が行われていた。
その頃、ラジオから不気味なモスクワ放送が流れてきた。12分40秒後に日本の基地に水爆の反撃が加えられるという。死んだように静まり返った東京、やがてその時がきた。太陽をあざむく閃光と同時に吹き飛ぶ国会議事堂、東京タワー、ビル等、そして阿鼻叫喚の修羅と化した避難者の群れ。一瞬にして廃墟となった街に悪魔のような原子雲がいくつも盛り上がった。逃げ遅れた茂夫と静子は無残な死体をさらし、美栄や市村たちは恐るべき死の灰を浴びていた。廃墟の東京へ恋人の姿を求めて戻った正木もまた、知子の死体を抱いて息絶えてしまった。東京ばかりでなく、パリ・ロンドン・ニューヨーク・モスクワ等世界の主要都市は全て米ソの核弾頭ミサイルの下に崩れ落ちた。「この戦争で世界人口28億の内、20億が失われ…」勝敗のないこの戦争の終結を告げるアルゼンチン放送が黒い雨に濡れた街々に静かに流れていった。